🌼娘の小児がんの闘病歴〜病気判明まで〜

うちの長女は神経芽腫という小児がんのサバイバーです。

「がんサバイバー」とはがんを体験した人を表す言葉で、生き残った人だけを表すのではなく、がんと診断されたときから一生サバイバーです。

娘は1月に10歳の誕生日を迎え、ステージ4の再発寛解から5年が経過しました。

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娘のがんが分かったのは1歳10か月の時です。

里帰り出産をし、下の子が生まれて1か月後の頃、急に歩き方がおかしくなりました。地元の整形外科に連れていきましたがレントゲンを撮っても異常なし。医師より「この頃の子はよく歩き方が不安定になるから」と言われたものの、もう歩き始めて約1年も経つ上に昨日まで普通に走っていたぞ。と腑に落ちませんでしたが、あまり悪いことを考えたくないというのもあり、昨日坂道を走りすぎたせいかも。大丈夫。と思いこみました。

その数週間後、里帰りを終えて自宅に戻ったころ、歩き方は何となく元に戻りましたが今度は急に40℃を超える熱を出しました。

インフルエンザワクチンを初めて打った後だったので、もしかしてその副反応だろうか、と思いながらかかりつけの小児科に行きました。

「副反応かもしれないし、突発性発疹かもしれないですね」とのことで経過観察。

翌日熱は下がったものの、発疹はでません。

このとき、とても嫌な予感がして「なんで発疹がでないの?!」と血の気が引く思いがしました。

念のため再度小児科に連れていきましたが「発疹がでないタイプもあるから」とのこと。

でも嫌な予感と不安はぬぐえません。

その後、嫌な予感が的中するように朝熱が下がって夕方熱が上がるという状況が何日か続きました。

この熱型のパターンに中耳炎もあるため耳鼻科を受診してみましたが異常なし。やや扁桃腺が腫れているものの、「この程度で40℃も熱だすかな?」と先生も首をかしげる状況。抗菌薬を処方されましたが全く熱の上がり下がりの状況に変わりなし。

再びかかりつけの小児科に行きました。

「温度板つけてみて。」

と熱型をみるために1週間ほど体温を温度板に記入することになりました。

それと同時に

「熱の原因がわからないから採血してみましょう」

と採血することに。

このとき採血しなければ、発見はもっと遅れていたと思います。

翌日かかりつけの先生より電話があり

「採血データがおかしいです。貧血がありLDHが高い。溶血性貧血かもしれない。3か月くらい入院することになるかもしれないけどステロイド剤などの治療がありますから。専門の先生を紹介します。すぐきてください。」

と。このときはまだ自分の子がまさか「がん」と言われるとは思ってもいません。

かかり付け医より紹介状を受け取り、大学病院にすぐに向かい受診したところ

「貧血といってもそれほどひどい貧血ではないです。お腹に何かあるかもしれないのでエコーでみてみましょう。」

狭いエコー室にぞろぞろと研修医の先生たちも集まってきました。

娘の泣き声で先生たちが何を話しているか全く聞こえません。

エコー後、先生から伝えられたのは

「おそらく神経芽腫だと思います。…がんです。」

診察室にいたパパと私は一瞬時が止まったように衝撃を受けました。

その時の衝撃と一気に押し寄せる絶望感、後悔を今でも忘れられません。

看護師なのになんでもっと早く気づけなかったんだろう。

歩き方がおかしくなった時小児科に連れていけば分かったんじゃないか?

妊娠中の何かが影響したんだろうか?

何が原因?

なんでうちの子が?

助かるの?

これからどうなるんだろうか?

もう絶望しかない中、主治医の先生が話してくれたのは

「原因は不明です。交通事故にあったのと同じくらい誰がなるかもわかりません。予後は五分五分です。でも完治する可能性も決してゼロではないです。小児がんは大人のがんと違って体の深いところから発生するので分かったときには進行していることがほとんどです。気づいたところから、分かったところから治療を始めましょう。」

ということです。

本当に自責の念にとらわれていた私を救ってくれた言葉だなと今でも思い返すたびにありがたく思います。

あきらめずに気づいたところから始める。

これは今の人生においても「まだ遅くない!」と自分を戒める言葉となっています。

ここから長い長い闘病生活が始まりましたが闘病生活はまた追々、、、

どうやって分かったの?と聞かれることが多いので記載してみました。

娘の闘病は、本当に私の人生観や価値観を大きく変え、娘が身をもって私に教えてくれたように思います。

 

 

 

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